2018-06-05 第196回国会 参議院 法務委員会 第14号
やや場違いなエピソードを引用させていただきますが、私の所属する早稲田大学の前身であります東京専門学校の開校式におきまして、その開学を実質的に牽引した小野梓は次のように述べています。「国を独立せしめんと欲せば、必ず先ずその民を独立せしめざるを得ず。その民を独立せしめんと欲せば、必ず先ずその精神を独立せしめざるを得ず。而してその精神を独立せしめんと欲せば、必ず先ずその学問を独立せしめざるを得ず。」と。
やや場違いなエピソードを引用させていただきますが、私の所属する早稲田大学の前身であります東京専門学校の開校式におきまして、その開学を実質的に牽引した小野梓は次のように述べています。「国を独立せしめんと欲せば、必ず先ずその民を独立せしめざるを得ず。その民を独立せしめんと欲せば、必ず先ずその精神を独立せしめざるを得ず。而してその精神を独立せしめんと欲せば、必ず先ずその学問を独立せしめざるを得ず。」と。
もう一方で、憲法の問題については、これも、早稲田大学をつくった小野梓という人がいますが、これは大隈重信と一緒に早稲田大学をつくった人ですけれども、小野梓は「国憲汎論」を明治十七年に上梓をいたしまして、このときも、小野はこう言ったんですね。日本は地方自治の制によるべしと断言すべきと言ったわけであります。
そして、松野大臣は早稲田大学の出身だと思いますけれども、早稲田大学の創立のときの東京専門学校の開校の辞を述べた小野梓という方がいますけれども、この方が言った学の独立というのが、早稲田の校歌になっているわけですよね。
大隈重信と一緒に東京専門学校、今の早稲田大学の創設に当たって、創設に尽力をした小野梓さんという法学者の方がおられるんですけれども、この人が東京専門学校の開校式で次のように述べているんですね。 一国の独立は国民の独立に基いし、国民の独立はその精神の独立に根差す。しかして国民精神の独立は実に学問の独立に由来するものなれば、その国を独立せしめんと欲せば、必ずその民を独立せしめざるを得ず。
これも同じ宿毛出身の小野梓先生との御縁等もあったんだろうというふうに思います。 そういった観点で、今、コマツの憲法であるコマツウェイ、この中でも人材育成といったものは大事な柱であるというふうに位置付けられているというふうに思います。
私は、安部磯雄先生に質素なる生活、永遠の心という教えを受けましたが、大逆事件や何かいろいろな波乱万丈の中にいて、一貫して社会主義の道を守った安部磯雄さんには特徴的なものはないけれども、実証主義的な政治形態を早稲田の伝統につくった点においては、大山郁夫教授と同じく、小野梓先生と同じく、非常に私はりっぱなものが残されていると思います。
それからさらに、明治三年に上海に渡りました小野梓という人でありますが、この人なども、非常に徹底したいわゆる世界連邦をつくれという主張をしておるわけであります。 あるいは明治五年、つまりちょうど日本に徴兵制度がしかれたわけでありますが、そのときに植木枝盛、この人は、「戦争は天に対し大罪」である、大きな罪である。「万国統一の会所なかるべからず」万国統一の会所、つまり会議所、議会ですね。
それにも増して、早稲田大学創立のために、多くの人には知られておりませんけれども、小野梓先生は、当時の憲法を十分研究をされ、当時としては、憲政の神様として、これまた早稲田大学に不朽の名を残しております。 そういう意味からいっても、私は、田澤吉郎君の今度の行動については、どうしても理解できません。
しかも、現行憲法に対してさまざまな誹謗を行なって、結局は押しつけ憲法などと論じておりますが、明治憲法の成立の過程を見ましても、これはその前におけるイギリス流の会議中心の制度を実現しようとする大隈、福沢、小野梓先生らの進歩派と、プロシャ流の憲法を日本に押しつけようとする伊藤博文らの守旧派と、この対立が明治十四年に激化してあの政治的なクーデターとなり、そうしてあの憲法というものは全くプロシャ流の憲法としてつくられたものであり
私は今の外交というものが一番大切と思うのですが、この間私は小野梓先生の国憲汎論、あの人の明治十五年の演説集を読みましたけれども、やっぱり国の独立というものは民族の魂の独立がなくちゃだめだ、魂の独立を導くためには学問の独立をしなくちゃだめだ、国の権力や勢力に迎合するのじゃなくて、何が正しいかという形の追求がなされなければだめだということをはっきり言っておりますけれども、今多数の上にあなたたちはあぐらをかいて
あれほど五箇条の御誓文に表われたような維新精神、こういうものが躍動しながらも、あとではプロシヤ的な国家権力に依存してすべてのものを持ち運ぼうというビスマルク的な、ユンカー的な基盤に立った官僚や軍閥の養成、この明治政府の二大支柱の作り上げ方というものが、非常に日本の底の浅い一つの悲劇を作り上げた原因を作り上げたので、あの当時においては私は日本の教育、学問の先頭に立った福澤諭吉先生が独立自尊なり、あるいは小野梓先生